「師任堂(サイムダン)、色の日記」一気に視聴しました!!ドラマで観る朝鮮王朝の歴史はおもしろい!!

韓国ドラマ、時代劇もおもしろいです。どのドラマがいつの時代なのか、日本では何時代なのか、朝鮮王朝時代の歴史を学びたくなります。
「トンイ」「イ・サン」「奇皇后」「馬医」「善徳女王」「オクニョ」「麗」など、他にもたくさん観ていますが、時代背景がわかるともっと楽しめるのではないかと思います。
どれも奥が深く、歴史的人物を本格的に描いた作品から、サスペンス、アクション、ラブコメまで幅広く、また長編がたくさんあり見応えがあります。
「師任堂、色の日記」も30話もあり、韓国では、SBSで2017年に放映されました。李氏朝鮮時代の女流書画家の芸術魂と不滅の愛を描く作品で、サイムダンが生きた460年前の朝鮮時代と現代という2つの時空をうまく結びつけて同時進行していき、それぞれの物語・ドラマが描かれています。
主演は、サイムダンに、イ・ヨンエ。現代の場面では、大学美術講師ソ・ジユンを演じています。お相手役の王族の画家イ・ギョム(宜城君ウィソングン)に、ソン・スンホン。現代の場面では、謎のカメラマン???で最終回にちらっと出演します。
朝鮮時代で悪役の人が、現代の場面で刑事だったりと、1人二役のキャスティングがおもしろく、さすが韓国ドラマ!!
ヤン・セジョンは、朝鮮時代では、イ・ギョム(ソン・スンホン)の青年時代を、現代の場面ではジユンの後輩を演じています。同じドラマで全く違う役が見られるので2度美味しいという感じです。
なんと言っても、イ・ヨンエの透明な美しさが際立っています。現代のファッションよりも朝鮮時代の韓服がとてもよく似合う女優さんだと思いました。顔立ちが少し古風なのかもしれません。
芸術家として、妻として、母として、女性としてそれぞれののサイムダンが描かれていますが、妻としてのサイムダンが神対応です。夫に浮気をされ、家に帰ってこない事に対して、自分にも非があったと子供のために最後は夫を許そうとする。また母としてのサイムダンは天使です。実際のサイムダンはどうだったかわかりませんが、ドラマの中では良妻賢母として描かれています。
韓国の歴史、日本との関係などを知らずにドラマを観ているので、感想がうわべだけのような気がします。疑問符がいっぱい!!
時代劇を観ていると漢字が出てきて、筆で書く文字はほとんど漢字です。韓国語(ハングル)はいつ生まれたのだろうか?
日本の描写として「倭寇」が出てきます。倭寇は日本史で習ったような気もしますが・・・? 

少しずつわかってくれば、韓国時代劇もより楽しめそうな気がします。

歴史カン・ヒボンより引用させて頂きました。

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申師任堂(シン・サイムダン)とはどんな女性だったのか

申師任堂(シン・サイムダン)は1504年に生まれて1551年に亡くなった朝鮮王朝時代の女性芸術家だ。今でも韓国ではとても尊敬されており、5万ウォン(約5千円)という最高額紙幣の肖像画になっている。

まさに天才

申師任堂は、小さい頃から絵がとても上手だった。
7歳のときに有名な絵師の山水画を模写したが、実物を上回るほど出来が良かった。
大いに褒められたが、幼い申師任堂はこう言った。
「写すだけでは、満足できる絵は描けません」
どこまでも自分がめざすレベルが高かった。
申師任堂が描く鳥や動物は、本当に生きているかのようだった。
あるとき、彼女は虫を描き、その絵を庭で乾かしていたところ、ニワトリが本当の虫と勘違いして食べようとしてしまった。生きている虫と間違えられる絵とは、どれほど躍動感にあふれていたことだろうか。絵画と詩歌で才能を発揮した芸術家の申師任堂。結婚したあとは、生活が苦しかったが、節約と工夫で7人の子供たちに不自由な思いをさせなかった。

夫を叱咤激励

申師任堂の夫は李元秀(イ・ウォンス)という。
科挙に合格するまで絶対に帰ってこない」
そう決意して李元秀が都に旅立ったことがあった。しかし、舌の根も乾かないうちに挫折して戻ってきてしまった。
情けない夫を前に、申師任堂は裁縫箱からハサミを取り出した。
「あなたが約束を守れないと言うなら、この世に未練はありません」
そう言って、ハサミで自らの命を断とうとした。驚いた李元秀は、まず妻に詫び、自らの甘さを恥じた。
そして、改めて決意を固めて都に飛び出していき、今度こそ科挙に合格するまで帰ってこなかった。
 本来なら、好きな芸術をとことん究めたかったはずなのに、申師任堂は自分の欲を抑えて、親孝行と内助と教育に人生を捧げた。

親子で紙幣の肖像画

申師任堂に死期が迫ったのは47歳のときだった。
彼女は夫にこう頼んだ。
「私が死んでも、あなたは絶対に再婚しないでください」
この願いは当時として異例だった。妻に先立たれた夫は新しい妻を迎えるのが一般的だったからだ。
申師任堂は子供たちの将来を考えていたのだ。子供が継母とうまくいかない例は山ほどあった。
そんな子供たちのことを案じながら1551年に世を去った申師任堂。彼女の三男が李栗谷(イ・ユルゴク)だ。
朝鮮王朝の歴史に残る儒教の大家である。
彼は16歳で母と死別し、あまりに悲しくて僧侶になろうとした。しかし、母から教わった学問を生かす道に進みたいと思い直し、儒学を究めた。

 その李栗谷は、5千ウォン(約500円)の紙幣の肖像画になっている。
つまり、母と息子が韓国の紙幣の肖像画を飾っているのだ。世界でも本当に珍しい例であろう。 

 

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